− 端午の節句 −  平成14年6月5日(水) 

  カトレヤには芝生の庭があります。
  
この芝の管理も、なかなか難しい!これからの季節
 夏の暑さにヤケドしないようにしなければ・・・。
 裕治!がんばれ!!
 
  その芝の庭に今年も元気に鯉のぼりが泳ぎました。
 なぜ今ごろ『端午の節句?』と思われる方も多いと
 思いますが、われわれの地方では1ヶ月遅れの節句が
 当り前です。
 ちなみに雛祭りも4月3日。。。雪が多いせいなのかな?
 なぜかはよくわからないけど・・・。

 さて・・・。
 6月5日。この日も晴天の下、端午の節句を行いました。
 鯉のぼりの下で記念撮影。おやつにお茶・・・。
 また格別です。   



●端午の節句の由来


■端午の節句は、おおもとは平安時代から
 端午の節句の起原は、古代中国に遡ります。古来より中国では、物忌みの月(5月)には厄払いの行事が盛んに行われていました。端午の「端」は文字通 り「はじ/最初」の意味で、「午」は「うま」つまり端午とは、五月の最初の午の日に行われると言う意味です。最初は必ずしも五月五日ではなかったようで、午と五のゴロが同じことからこの行事は、やがて5が重なる重五の日、つまり5月5日に大切な厄払いの日として定着します。日本でも奈良・平安時代には五つの節句(人日・上巳・端午・七夕・重陽)が取り入れられ、当時五節句は貴族の間では、それぞれ季節の節目の身のけがれを祓う大切な行事として、よもぎ・菖蒲などの薬草を摘みに野に出て、その薬草を臣下に配ったり、悪鬼を退治する為に午から弓矢を射たりしたそうです。(流鏑馬の原型ですね)その中の一つ「端午(たんご)の節句」が後に「子供の日」となります。

大町市の伝統芸能 流鏑馬太鼓ホームページへGO!

鯉のぼりの由来
鯉のぼりは、中国の登竜門の故事に由来しています。「鯉の滝登り」ってやつですね。黄河の上流の急な流れを鯉が上るということから、鯉は出世魚として考えられ、子供の立身出世の象徴として江戸時代から、盛んに立てられるようになったそうです。また子供が産まれた家では、「この家の子供をお守り下さい」と天の神様に向かって目印にに立てたという話もあります。

 さて登竜門の故事はとてもロマンチックで、昔々中国の霊山に「竜門」という滝があり、その急流の滝を登り切った鯉には霊力が宿り、龍になると言われていました。ある時一匹の鯉が激しく落ちる滝水に逆らいながらも、懸命に滝を登り切ったまさにその時!
鯉の体はまぶしい光を放ち輝きながら龍へと変身し、悠々と天に昇っていったというお話です。中国では、龍(ドラゴン)は皇帝の象徴ですから、とっても縁起の良いものだったのでしょう。ここから、人生の中で困難に遭遇しても、この鯉のようにたくましく立ち向かい、やがて成功することを願って鯉のぼりが生まれたと言われます。

■端午の節句は菖蒲の節句
  古代中国では、端午の節句の日に人々は蘭の湯に浸かり、薬草である菖蒲酒を飲み、その菖蒲で体のけがれを祓って健康と厄除けを願いました。この行事が、後に日本の宮中から鎌倉の武家社会へと拡がります。特に武士は菖蒲を「尚武=武をたっとっぶ」とかけて、5月5日を尚武の節目の行事とし、盛んに端午の節句を祝うようになります。やがて江戸時代に入ると、幕府は5月5日を重要な日として定めます。5月5日には、大名や旗本が式服でお祝い品等を携え、江戸城に出向くようになります。これ以降、武家に男の子が生まれると、門前に馬印(うましるし)や幟(のぼり)を立てて男児誕生を衆々に知らせ、お祝いました。当時男児の誕生は、とてもめでたいことでしたから。
これらの風習が、やがて裕福な庶民の間へと拡がりを見せます。庶民は、
幟旗を立てることは許されていなかったので代わりに盛んに鯉のぼりをあげるようになります。やがて庶民は、端午の節句に、鯉のぼりだけでなく紙の兜や人形を作るようになり、武者人形などに発展していきました。

− Back Number −
5、平成14年4月10日 ふれあい広場

4、平成14年3月15日 おやきつくり


3、平成14年2月8日 節分ゲーム 

   2、平成14年1月16日 新春演芸大会 

1、平成13年12月12日 誕生会   
 

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